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2009年3月21日土曜日

焼肉とカリフォルニアワイン




とても楽しい日本ならではのワインメーカーズディナーに参加させていただいた。なんと焼肉とカリフォルニアワイン。とはいってもガーリックががんがん利いた焼肉ではなくて、(それもきっとジンファンデルなんかだと美味しいだろう)主催者いわく「会席スタイルの焼肉」だった。一緒に行ったダックホーン・ワイナリーのピートは「コベビーフ?」と勇んで聞いたら、それと同等かもっと美味しい松坂牛といった。
このディナーは船橋にある備長炭火焼肉 やまとというところで開かれた。
ダックホーンのソーヴィニヨン・ブランに何をあわせるのかしらと興味しんしんだった。ホタテと野菜が出てきた。これはまず間違いなくマッチする。で次に「上たん塩」とメニューにあって、牛タンの真ん中の厚い部分だけを焼いてレモンとコショウでいただいた。フルーティなソーヴィニヨン・ブランとレモンとコショウのソースが良くマッチしたので驚いた。
目の前の炭火で焼きながらワインと共に楽しむというのが、とってもいい感じ。日本ならではのディナー。こういうのが大好きな相棒がうらやましがるだろうなあ。
上ロースとメルロー。わさびソースでどうぞといわれて、うん?肉の油をわさびが消すとマネージャー氏が教えてくれた。試してみた。なるほど。わさびと肉がミックスして上品な味わいが口に広がる。わさびソースはすった生わさびとみじん切りにしたわさびにちょっとオイルを入れて混ぜたもの。メルローにぴったり。
次はカルビとパラダックス。パラダックスはジンファンデルとカベルネをブレンドしたワイン。カルビは伝統的焼肉ソースでいただく。ジンファンデルの果実味とよくマッチ。もちろんソースの甘味はワインに合わせて調整している。
骨付きラムはパラドックスでもメルローでもよくマッチするだろう。とても柔らかいデリケートなラム。
最後はコムタン。こくのあるスープにご飯が浮かんでいる。これも美味しい!
アットホームで、この会に出席された方たちは気さくで、いい雰囲気で会が進行。お隣の女性と向かいの女性が私の肉も焼いてくれる。日本の女性って(ホントは私も日本の女性なんだけど?)優しくって素敵です。
ほのぼの気分で焼肉屋さんを後にした。

2008年7月24日木曜日

北海道の男


今、江別の実家に娘と帰郷している。タイの旅の後、娘と成田で落ち合って東京に2泊後、北海道に帰ってきた。1年ぶりの札幌で、親友とお茶を飲んだ。タイと東京の蒸し暑さにしごかれてきた身には、札幌の夕方の涼しい空気がありがたい。丑の日だそうで、母がうな丼を作って待っていてくれるので、5時の汽車で江別へ戻った。
ラッシュアワーに入る時間帯なので、江別ー札幌間の快速はなくて、普通列車に乗った。それでも20分ほどだから、あまり苦にならない。運よく座ることができた。発車間際に、小型のスーツケースを持った親子3人が乗ってきた。私の後ろの窓側の席がひとつあいていたらしい。30代中ごろの父親が5歳くらいの男の子に「席が空いてるから座らせていただきなさい。ありがとうございます」といっているのが聞こえた。礼儀正しいお父さんだなあ、息子はいい大人に成長するだろうなあ、なんてぼんやりと考えていた。窓際の席に座らせたのは70歳ほどの老人で、この父親にいろいろと話しかける。この男性は懐かしい北海道弁で、いやがらずに適切に会話に応じている。いつもだとむすっとしたサラリーマンたちや携帯をぱちぱちしてる若い人たちで、話し声はほとんどない、なんとなく通勤に疲れたという人たちがほとんどなのに、まるで昔のローカル線に乗ったみたいに会話があったかいのだ。へー、今でもこんなにお年寄りに優しく応対する男性がいるんだなあ、それにこの北海道弁、なくなった弟みたい、いい声だわなんて、またぼんやりと考えていた。
老人がいやみなくこの家族のことを聞きだしていく。大麻出身だけれど、今は山形に住んでいるということ、そしてこの日の午後に彼の祖母が危篤だという連絡を受けて、大急ぎで山形空港へ車を2時間すっ飛ばして運よく航空券が手に入って千歳へ飛んで、千歳から札幌までの汽車にすぐ乗ることができた。今、札幌で乗換えをしてこれから祖母が入院している岩見沢の私立病院まで行くのだということを話した。
急いでいるのに普通車に乗ってしまって、何で特急に乗らなかったかと悔いる男性に、老人は「特急はこの汽車の5分前に出てしまったもんな、でもここまでうまくこれたんだから。岩見沢に着いたら、私立病院まではタクシーで1区間、10分か15分でいけるから」と慰めると、ありがとうございますと答える。
内心は祖母の死に目に会えるだろうか、間に合うだろうかと、はらはらしているだろうに、なんと優しい男性なのだろう。
山形という土地は、人々が優しい会話を交わす土地なのだろうか。
どうか彼が祖母に会えますように!かっこいい真の北海道の男を久しぶりに目にした。、

2007年4月21日土曜日

翼のない鳥

先日、血液検査の結果、私の胃にピロリ菌が住んでいる?ことがわかり、1日に4回も4種類の薬を14日間にわたって飲まなければならず、薬漬けという感じで暮らしています。アルコールは1滴もだめということで、数箇所でのテイスティングの予約をキャンセルして無念。スタッフの一人に「ワインが飲めないなんて羽のない鳥のようなものですね」といわれて、「うーん、全くそのとおりだわ」と変なところで感心してしまった次第。 

乳製品も薬を中性にしてしまうのでだめということで、こちらも頭痛の種。コーヒーショップへ行くと自動的にシングルカプチーノをオーダー。娘に「ミルクはだめでしょう」と注意されて、「あっ、そうだ」と気が尽く始末(ため息)。 あーあ、普通のコーヒーしか飲めないのかなと嘆いていたら、ソイミルクという手もあるよと言ってくれたので、豆乳でカプチーノを飲んでいます。健康食一辺倒の女性になったみたいで奇妙な気持ちです。

ディナー用のワインを買いながら、自分が飲みたいワインも買って、これは17日後まで取っておくことと指示し、レイと娘には私が飲まなくても後悔しないワインを飲ませるという小細工をしています。それでも私に同情している二人は文句も言わずに飲んでいました。ワインを飲まないと食事が早く終わってしまうし、あんまり話をする気分にもなれず、娘とレイの会話をどっちらけで聞いているだけで味気ないものです。

手術後、9週間がたって、腫れが徐々に引いて、後数週間で普通の靴が履けると張り切っています。5月になると胃のほうも健康になるはず。歩きやすくなった足と快調になった胃を得て、新しい表情をもつワイン トークのサイトとともに羽ばたきたいものです。

2007年3月8日木曜日

アーネスト・ガロ氏死去

3月7日付けの地元の新聞によるとガロ・ワイナリーの設立者、アーネスト・ガロ氏が亡くなったという。享年97歳だった。

イタリア移民の子供だったジュリオとアーネスト兄弟は禁酒法廃止後、1933年にワイナリーを設立し、アメリカワイン市場最大の売り上げを誇る巨大ワイナリーに拡大した。また毎年一定した質のカリフォルニアワインを海外に広めたのもガロだった。 アーネストがワインのマーケティングとプロモーションを、1歳だけ若い弟のジュリオがワイン生産とブドウ栽培を担当。二人三脚でかなりごつい商売を繰り広げた話は、よく耳にしたものだ。 ジャグワイン(大瓶に入ったデイリーワイン)でほぼ市場を独占していた時代を経て、プレミアムワインが優勢を誇る時代に入ると、そのマーケットの変化に合わせてソノマに大型ワイナリーを設立し、大型ではあっても孫が経営を担当しているファミリー経営のワイナリーであるというイメージを売る賢いマーケティングを展開、プレミアムワインの市場でも成功を収めている。

ガロファミリーは悲劇的な物語に包まれていた。兄弟の父親は大不況がアメリカを襲った時代に借金が重なり、妻と心中してしまった。またジュリオは1993年にジープの事故で死亡。乳製品を生産していた末の弟ジョセフとはガロという名前をチーズにつけるつけないで法廷で争い、弟が敗訴し、それ以来、兄二人とは言葉を交わすことなく、87歳だったジョセフはアーネストが亡くなる3週間前に死去した。 10年ほど前にお会いした時には80代になっていらしたと思うが、現役のビジネスマンとして才腕をふるっていた。鋭い目に時々優しさが宿るかくしゃくとした老紳士で、尊敬の念を抱いたのを記憶している。 カリフォルニアワイン産業界における世代交代が確実に進んでいる。カリフォルニアワイン史に大きな足跡を残したパイオニアが消えた。

2007年2月11日日曜日

スーパーボウル

イエス! 遂にコルトが優勝。
49ナーズがほとんど最下位チームになってちょっとめげていたけれど、コルトがスーパーボウルで優勝して嬉しい。コルトのコーチ、トニー・ダンジーはタンパ・ベイで強いチームを作り上げた矢先に追放されて、その年に別のコーチ(オークランドのレイダーズのコーチだった)が、ダンジーが作り上げたチームで優勝したり、無敗でシーズンを終えたのにプレイオフで負けたりで、なかなかスーパーボウルまで行き着けなかった。
信仰深さからくる穏やかな表情、謙虚で秘めた闘志を持ちながら、不運な彼を、私はいつも応援していた。クオーターバックのマニングも素晴らしい成績をシーズン中に残しながら、プレイオフになると勝てなくて、その重圧が彼の肩にずっしりとのしかかっていた。その二人が遂にスーパーボウルで優勝を果たしたのだから、心が温まった。ワイドレシーバーのハリスも決して目立った行動はせず、しっかりとボールをキャッチして静かにボールを置いてまた試合を続けるというクールさで、チームのイメージにぴったりのプレイヤーだ。スーパーボウルでもキーポイントできちんとボールをキャッチしていた。でもゲーム後に目立とうとテレビカメラの前に出てくることはなかった。
 

スーパーボウルのゲームの日は二つのイベント?があって、忙しかった。11:30から我が家でブランチ。シャンパンとワインをたくさん飲んで、お腹一杯、料理を食べた。これはベトナム旅行の写真をスライドにしたのをみんなで見るための集まりだった。ゲストも入れて全部で10人。ミモザ(シャンパンとオレンジジュースのミックス)で乾杯。カヴァ、ブーブ・クリコ、スラムズバーグ、グローリア・フェラーとシャンパンを結構飲んだ。ベトナムでいつも麺類を食べたので、レイが前の晩3時間かけて、スランティングドア(サンフランシスコにある人気のベトナム料理のレストラン)のレシピーを元に麺類のスープを作った。それにベトナムのミートボールのサンドイッチ、これは絶品だった。 
写真の私はカメラを無視して横向いているか、笑っていない顔ばかりだったと旅行のメンバーの一人、たくさん写真を撮っていたブラッドが言ったので、みんな賛成の表情で笑った。「ふーん、そうだったかもね」と私は独り言。 

スーパーボウルは3:30から始まったので、ランスの家に移動。スーパーボウルは彼に家で見るのが習慣になっている。常連のダグとスーザンが、もう来ていた。サンディとランは、コマーシャルだけ楽しみに見るのが、毎年の慣わし。ここでは白ワイン、そして赤ワインをたくさん飲んだ。銘柄は覚えていない。(スーパーボウルに気を入れていたので)スーパーボウルスペシャル、チリホットドッグ、BQ,チップスとここでもたくさんの食べ物とワイン。 
ゲームが終わってからも、彼たちはまだ飲み続ける。私はもう降参。それでも家に帰ったのは10時を過ぎていた。イベントを楽しむのにも体力がいる。

2006年1月26日木曜日

醸造家になってみたい?

1月26日のクロニカル誌に醸造家希望の素人を応募するという記事が載っていた。アメリカに住んでいられる方はご存知のように、最近のテレビ番組はリアリ ティ・ショーが多い。素人やその分野の専門家でない人が挑戦するというものだ。日本でも有名人がいろんなことにチャレンジしてみるという番組がある。ま あ、似たようなものですね。
   PBS(パブリック・テレビジョン)が The Wine Maker というタイトルで2007年の春からシリーズで放映するという。9月から撮影を始めて自分のラベルでワインを出すまで6人が競うコンテストだ。 この番組の撮影現場はパソ・ロブレスとサン・ルイ・オビスポ。コンテストは栽培、醸造、販売、マーケティングの全てを体験するというもの。 10都市でオーデションが行われる。
2月1日はアトランタ、サンフランシスコは5月2日。パソロブレスとロスアンゼルスでもオーデションが実施される。 候補者は21歳以上、アメリカ市民権、あるいは永住権保持者でなければならない。ワイナリーの従業員、ディストリビューターで働いている人は資格なし。参加者として選ばれてもギャラはなしだけれど、番組参加経費は支払われるという。関心のある方はcasting@doccity.comまでEメールをという ことです。 
  日本にいられる方は残念ながら、参加資格がありませんが、日本でもこういう番組が企画されるといいですね。

2006年1月4日水曜日

Happy New Year!




皆様 新年おめでとうございます。良いお年をお迎えになりましたか? 私はカリフォルニア原産?のフルーでホリデーシーズンを過ごし、大晦日、元旦は大雨で迎えました。 ク リスマスイブは家族3人でナパヴァレーのセントヘレーナにテラというレストランを持つ曽根さんがサンフランシスコにアメ(雨だと思う)というレストランをオープンしたというので、予約を入れて、出かけるのを楽しみにしていました。ところが3人ともフルーに罹って、クリスマスイブは頭痛、鼻水、くしゃみに咳き、午後3時ころまでは何とか行けるだろうと気力を貫いていたのですが、遂に3人とも「これはだめだわ」観念して、泣く泣く予約をキャンセル。ソノマでの出前というとメリーピッツしかなく、サラダとパスタを注文してなんとも情けないクリスマスイブとなってしまいました。

  翌日、クリスマスはランスとサンディ の家に招かれていたので何とか出かけました。1976年のサロンのシャンパン(マグナム)で乾杯。泡はちょっと弱まっていましたが、アーモンドの香りと シャルドネの味がしっかりと残っているのが印象的でした。前菜はシャトーヌフ・デュ・パプ、97年ピノ・ノワールやローヌの赤、ジンファンデルを飲んで、 いよいよ席についてのディナー。亀のスープとドイツのリースリング、最高の出来のローストビーフ(1ヶ月熟成した牛肉だそう)を持参した1995年のポー ルホブのカベルネでいただきました。ポールホブはどんな風に熟成しているかなと期待していたのですが、やや期待はずれでした。涼しい年の印象を残してそのまま凍結質得るような幹事でのびやかな熟成間はありませんでした。2000年代の彼の造りとは多分違うと思うので、2000年代のポールホブのカベルネの 熟成を予測することはできません。デザートのころには、私はもう目を開けていられなくなって、ベッドルームでちょっと横になるつもりが寝てしまって、帰る よと娘に起こされる始末。その翌日、26,27,28日と連続のパーティ、29,30、31日と元旦のパーティ用の自己流おせち料理作りに没頭。1月4日の今日、よくぞ持ったものだわと感心しています。

  31日はランスの家で恒例のニューオリンズスタイルのニュー・イヤー・イブのディナー。ランスとサンディの家の素晴らしい庭は、前夜の大雨で丘から流れてきた激流ですっかり破壊されていました。 ニュー オリンズのスパイスを使ってロブスター、サヤインゲン、とうもろこし、にんにくなどをまるごと大きな鍋でゆでる。それをビニールと新聞を敷いたテーブルに広げて、手で裁いてべる。食べ終わると新聞をくるくると巻いてゴミ箱へぽい。きれいなテーブルになったところで、あらためて赤ワイン、チーズ、デザート などを食べながら、新年を迎えるというのが私たちの慣わしなのです。この夜のゲストは13人。よく気心の知れた仲間たちで本当に楽しい。ハーフムーンベイ に住む友人が作ったチョコレートムースは最高に美味しかったあ!このカップルはドイツ系だそうで、ドイツの習慣だということで、秒読みが始まるとテレビの 前で一口サイズに切ってあるニシンの酢漬けを爪楊枝に刺して、口元に持って待機。これをするとお金の心配がなくなるのだというので、私もあやかろうと食べ ることにしました。「3、2、1、ハピー・ニュー・イヤー!」でばっとニシンの酢漬けを口に入れました。甘酸っぱくて悪くない。隣でニシンの酢漬けなど口 にしたことのないリサが「私も」と一緒にばっと口に入れて、「ギャー!まずーい!」と叫んだので大笑い。1996年のドンペリニョンで乾杯。きめの細かい 泡、イースティで、それでいてフレッシュで軽やかなシャンパンでした。

  2006 年1月1日も大雨。カレラのジャシュはホリスターの家から参加する予定だったけれど、「僕は今日はどこへもでかけないことにした」と電話がかかってきまし た。バークレーの友人は嵐は終わって雨降りのようだから行くよと電話があったのですが、1時間後に途中で道路が閉鎖になったから断念して引き返すという電話。グレン・エレンに住む2カップルは床まで水が浸水して、泥だらけで家具の移動にてんてこ舞いで行けないと電話。35人がやってくるはずだったのが、な んと来客予定の10人が来られなくなってしまいました。 それでも25人が集まって、日本酒、シャンパン、白ワイン、赤ワイン、ビールと、みんなたくさん食べてたくさん飲んでました。まめまめしく働くようにと黒豆 を例年通り白人の友達全員に強制的に食べさせました。驚いたのは、昆布巻きが好評だったことです。毎年、友人たちは私のおせち料理に馴れていくようで、嬉 しい気分です。「僕の大好きな1月1日の過ごし方なんだ」と大男が嬉々として、私の料理を食べてくれるので、くすぐったい気分です。 

  ソノマ、ナパを始め、数カウンティが洪水の被害を受けました。カリフォルニアは日本と違って台風が毎年来るという気候ではないので、集水溝の設置などがきちんとされていないので、大雨が降ると小さな川まで氾濫してしまうのです。 今は、損害を受けた家の修理、洗浄に関心が集まっているので、ブドウ畑の被害の報告は後になるでしょう。今のところ、大きな被害を受けたワイナリーのニュースは耳に入っていません。 
というわけで新年を祝う余裕もなかった人たちが多く出た2006年の始まりだでした。 
  そして私事なのですが、1月5日に私は外反母趾の手術を受けることになっています。昨日、詳しく先生が説明してくれたのですが、右足なので、なんと2ヶ月間 は車の運転ができないというのです!イベントやインタビューに今までのように出かけられなくなるので、ちょっとパニック気味です。「インタビューしたい人に家に来てもらえばいいよ」とレイは涼しい顔で言います。 

今年もよろしくお願いします。