2007年8月29日水曜日

2007年ハーベスト始まる


久しぶりにナパへ行く機会があった。この週は暑い日々が続いて、外へ出ると強い日差しがぴりぴりと肌を焦がすのがわかる。日本では男性用日傘も売り出されているようだけれど、ナパで日傘をさす勇気はまだない。いいことなのだけれど、なんだか弱々しいというイメージを勝手に自分に対して抱いてしまうからだ。

 8月21日、ホール・ワイナリーへ立ち寄ったら、最初のソーヴィニヨン・ブランを摘んだといっていた。担当の女性が「ブドウが音をたてて熟している」と表現していた。
 収穫時期が今年は早いというワイナリーと例年通りというワイナリーがあって、畑によってまちまちだけれど、全体の印象としては収穫時期が早いような気がする。春から夏にかけて気温が安定して、ブドウは順調に生育し、熟してきた。8月中旬、1週間ほど高気温が続いたので、糖度が急激に上がり、畑によっては収穫が早まったということなのだろう。いよいよ2007年ヴィンテージの始まりだ!
  先週は気温が27,8度と落ち着いていてのだが、今週は32度を超える日々が続きそうだ。もう少し熟したらいいと思っていた畑はこの気温ににっこり。逆にナパの温かい畑は、これでいよいよ収穫が早まるなというのが実感だろう。

 ナパのワイナリーを訪れていて感じたことは、オーキーなタイプのシャルドネから酸味が利いたタイプへ、そしてライプスタイル、プルーンの味がするような過熟ブドウから造られたワインのスタイルから、もう少しトーンを落としたスタイルへと変化が生じているということだ。
  例えばシェイファーのシャルドネ。これまでもカーネロス地区のブドウがもつ特色を生かして、かんきつ類系のきれいで華やかな香りと酸味を生かすためにマロラクティック発酵をしていなかったけれど、それに酸味を強調し、より長くフレッシュさをキープするために100%の樽発酵から小型の樽の形をしたステンレスの樽での発酵もミックスするように変えていた。新樽(50%)、1年使った樽(30%)、ステンレスの小型の樽(20%)という割合だという。

 オークの香りが強く、バタリーでトロピカルフルーツの味わいがあるシャルドネが、多数だったのだが、カリフォルニアのシャルドネのスタイルのチェンジが確実に始まっている。
 赤ワインのスタイルの変化の例としてはコングスガードの2005年のシラー、カベルネ・ソーヴィニヨン。2004年に比べると2005年はブドウの熟し具合のトーンが落ち着いている。やや涼しかった2005年の自然が与えてくれた原料ブドウを生かして、エレガントさを強調したワインに仕上げてあった。コングスガード氏はこのタイプのワインのほうが好きだという。また白ワインも酸味を残すために、以前に比べると糖度が少し低い時点で摘んだという。

 あるワイナリーのオーナーは、2005年の彼の赤ワインは過熟じゃなく、引き締まっていることに関して、「プレスがどう言うかな」と少し気になる様子だった。
1997年のワインは糖度が上がったことから、それまでのワインに比べるとライプでジャミーなものが多くなった。醸造家たちはそのことを心配したのだが、ワインプレスが絶賛したことから、より熟した(時には過熟)ブドウを使ったタイプのワイン造りを続けるワイナリーが増えていった。そのことを思い出して、このオーナー氏は言ったのかもしれない。
 今後、ヴィンテージによっては、ジャミーでライプなワインが生まれることがあるだろうが、意識的にハングタイムを長くして、極限まで糖度をあげてから収穫して造るワイナリーは少なくなるだろう。

  2007年の夏はあっという間に過ぎてしまった。そしてハーベストシーズンだ。このまま順調にハーベストが終わりますように!

2007年7月31日火曜日

2007年ブドウの成長は順調


今 年の夏はやたらにいそがしく、とても短い夏になってしまいそうだ。6月10日からヨーロッパへ2週間行ってきた。帰ってすぐにサンタ・バーバラ、そして日 本へ帰国。2週間の滞在を思う存分楽しんで帰ってきたら、もう7月も終わり。そして8月は娘がサンフランシスコからサンディエゴに越すので、その手伝い。 これが終わって一息つくと、もう8月も半ばを過ぎているだろう。

と いうわけで日本から帰って久しぶりにゆっくり見たブドウ畑は、もう色付きが始まっていた。今年のブドウの成長は大きな天候の変化や悪天候がなく順調だ。成 長具合は遅くもなく早すぎもせずというところだそうだ。でもまだ早熟品種の収穫が始まるまで1ヶ月、カベルネなどの晩熟品種だと2ヶ月あるので、順調だと いう言葉ももごもごとしていて明確には言わない。自然を相手にしているのだから、まだまだ先はわからないということをいやというほど知っているからだ。と にかく良い年になることを祈るばかりだ。ブドウの房の数や大きさも、ほどほどだという。まあ今のところいい感じってというところ。

日本には日航で行ったのだけれど、サンフランシスコから成田までの飛行機の中で「東京タワー、おかんとぼくと、ときどきおとん」というのを、たまたま見 た。見ている間中、涙が出て止まらなかった。この映画のことを友達に話すのにオダギリ・ジョーという俳優の名前を覚えておこうと名前を繰り返して頭に入れ たはずなのに、なぜかしら所ジョージって名前が出てきてしまう。所ジョージって少し出っ歯(失礼!)のコメディアンだよねと一人で失笑。ついにノートを取 り出してメモをする始末。暗記力の衰えをここでも感じる。行きも帰りも同じ映画だったのが残念。さすがに何回も繰り返してみる気にはなれなかった。

梅雨真っ最中の東京から肌寒い札幌へ。羽田行きのバスを待っているときは「暑いから冷房の利いた室内で待っていてください。お呼びしますから」といわれて 室内で。千歳ではバスを待っている間、外は寒いのでビルの中で待つという極端さ。やけくそになった娘は「ここは冬か」とばかりにジングツベル、ジングルベ ルとクリスマスの歌を歌い出す始末。

ストックホルムで見たと同じ北国特有の淡い緑色の木々に心を洗われ、懐かしい友人、懐かしいススキノでたっぷり楽しんでしっかり充電してソノマに帰った。 薄ら寒い朝の霧、昼ころから現れる真っ青な空、ブドウの成長振りを眺めながらの運転。ワインカントリーでの暮らしに戻る。

2007年5月25日金曜日

初夏


ブドウ樹の若々しい緑色の枝が順調に成長している。枝の根元の部分は濃い緑、先のほうが透き通るような若葉色で埋め尽くされたブドウ畑は夕日を浴びて心が清められるような美しさだ。またしても「なんてきれいな土地だろう」とつぶやく。今、ブドウ樹はかわいい花を咲かせている。遠めには見えない。ブドウ粒になる花が葉の影でひっそりと咲いているのだ。畑を良く見回って歩く人はブドウの花の香の話しをしてくれたけれど、残念ながら私はそまだの香りを感じたことがない。
今年の冬は雨が少なかったことから、旱魃(かんばつ)気味になるのではと心配する声も聞かれたけれど、大きな心配事ということではなさそうだ。

今日は何事にも一般化できない例外があるとあらためて感じた3つの話題。 マウント・ヴィーダー(頂上がナパ・ヴァレーとソノマ・ヴァレーの境界線になっている)の頂上でブドウ栽培しているランドム・リッジというワイナリーがある。オーナーのビルが、彼のサンジョヴェーゼが3月の霜にやられたと嘆いていた。「僕の畑の栽培条件は低地の畑とはまるで違うんだ。もともと収穫量の少ないサンジョヴェーゼが今年はもっと少なくなってしまう」とがっかりしていた。こういう畑が霜やられたことなんか、新聞では取り上げないから、一般的には順調な春ということになる。

もう一つはオーストリアのワインジャーナリストのルジアとディナーをする機会があったときのことだ。一般的にヨーロッパではワインは常にディナーの一部として楽しまれていると思われている。私もそう信じていた。ところがルジアは「オー!ノー!、それは南ヨーロッパのことよ。特にフランスや地中海地方のことよ。北ヨーロッパはそうじゃないわ」と言う。オーストリアではアルコールは酔うために飲むもので、特別にワインが好きな人以外はディナーでは飲まない。飲むワインといったら、安いからというので国産のまずい白を飲む人が多いと嘆く。最近、世界的に高く評価される白ワインが生産され始めているけれど、それもほんの一握りのワイナリーで留まっているというのだ。フーン、なるほどね。ヨーロッパという言葉でひとくくりには出来ないのだなと、学んだ次第。

先週、西オーストラリアのテイスティングに行く機会があった。オーストラリアワインというと、カンガルーのラベルとか、バロッサヴァレーで生産されるこってりシラーズを典型的なワインと思っていた。(もっともこういうイメージを作り上げたのは、アメリカのメージャーワイン誌の責任という声もあるけれど)西オーストラリアは涼しい。そのため手ごろな価格の良質なリースリングが生産されている。カベルネはどちらかというとパーカーが有名になる前のボルドーによくあった、ちょっとアニスっぽい香りがする軽いタイプのものなのだ。シラーズはピノ・ノワール風な軽いタイプだし、シャルドネはミネラルの味わいがするクラシックなタイプのものが多かった。シャルドネの熟成具合はとてもよかった。(詳細はメンバークラブのサイトに記載)「ああ、オーストラリアのワインね」と一般化することはできないんだと当たり前のことを再認識。

いくつになっても学ぶことは尽きない。「ああ、カリフォルニアワインね」という一般化に当てはまらないことが多いということを、多数の方に知ってもらうのも私の役目の一つかもなんて、殊勝な気持ちになったというお話。

2007年4月22日日曜日

久しぶりの東京

4月中旬、カレラ・ワイナリーのジャシュ・ジェンセン氏の通訳として、外反母趾の術後の片足を引きずりながら東京へ行ってきました。ジャシュにとっては数年ぶりの東京訪問でしたが、相変わらずのカレラワインの人気ぶりに感動、そして驚いていました。こういう仕事で行くと、ゆっくりお話が出来ないのが残念ですが、セミナー、テイスティングで懐かしいお顔に会えてとても嬉しかったです。カレラ・ワインファンの方たちとのディナーでは、ワイン大好きの方たち、明るい素敵な女性たちにお会いできて楽しいひと時を過ごしました。

2007年4月21日土曜日

翼のない鳥

先日、血液検査の結果、私の胃にピロリ菌が住んでいる?ことがわかり、1日に4回も4種類の薬を14日間にわたって飲まなければならず、薬漬けという感じで暮らしています。アルコールは1滴もだめということで、数箇所でのテイスティングの予約をキャンセルして無念。スタッフの一人に「ワインが飲めないなんて羽のない鳥のようなものですね」といわれて、「うーん、全くそのとおりだわ」と変なところで感心してしまった次第。 

乳製品も薬を中性にしてしまうのでだめということで、こちらも頭痛の種。コーヒーショップへ行くと自動的にシングルカプチーノをオーダー。娘に「ミルクはだめでしょう」と注意されて、「あっ、そうだ」と気が尽く始末(ため息)。 あーあ、普通のコーヒーしか飲めないのかなと嘆いていたら、ソイミルクという手もあるよと言ってくれたので、豆乳でカプチーノを飲んでいます。健康食一辺倒の女性になったみたいで奇妙な気持ちです。

ディナー用のワインを買いながら、自分が飲みたいワインも買って、これは17日後まで取っておくことと指示し、レイと娘には私が飲まなくても後悔しないワインを飲ませるという小細工をしています。それでも私に同情している二人は文句も言わずに飲んでいました。ワインを飲まないと食事が早く終わってしまうし、あんまり話をする気分にもなれず、娘とレイの会話をどっちらけで聞いているだけで味気ないものです。

手術後、9週間がたって、腫れが徐々に引いて、後数週間で普通の靴が履けると張り切っています。5月になると胃のほうも健康になるはず。歩きやすくなった足と快調になった胃を得て、新しい表情をもつワイン トークのサイトとともに羽ばたきたいものです。

2007年3月8日木曜日

アーネスト・ガロ氏死去

3月7日付けの地元の新聞によるとガロ・ワイナリーの設立者、アーネスト・ガロ氏が亡くなったという。享年97歳だった。

イタリア移民の子供だったジュリオとアーネスト兄弟は禁酒法廃止後、1933年にワイナリーを設立し、アメリカワイン市場最大の売り上げを誇る巨大ワイナリーに拡大した。また毎年一定した質のカリフォルニアワインを海外に広めたのもガロだった。 アーネストがワインのマーケティングとプロモーションを、1歳だけ若い弟のジュリオがワイン生産とブドウ栽培を担当。二人三脚でかなりごつい商売を繰り広げた話は、よく耳にしたものだ。 ジャグワイン(大瓶に入ったデイリーワイン)でほぼ市場を独占していた時代を経て、プレミアムワインが優勢を誇る時代に入ると、そのマーケットの変化に合わせてソノマに大型ワイナリーを設立し、大型ではあっても孫が経営を担当しているファミリー経営のワイナリーであるというイメージを売る賢いマーケティングを展開、プレミアムワインの市場でも成功を収めている。

ガロファミリーは悲劇的な物語に包まれていた。兄弟の父親は大不況がアメリカを襲った時代に借金が重なり、妻と心中してしまった。またジュリオは1993年にジープの事故で死亡。乳製品を生産していた末の弟ジョセフとはガロという名前をチーズにつけるつけないで法廷で争い、弟が敗訴し、それ以来、兄二人とは言葉を交わすことなく、87歳だったジョセフはアーネストが亡くなる3週間前に死去した。 10年ほど前にお会いした時には80代になっていらしたと思うが、現役のビジネスマンとして才腕をふるっていた。鋭い目に時々優しさが宿るかくしゃくとした老紳士で、尊敬の念を抱いたのを記憶している。 カリフォルニアワイン産業界における世代交代が確実に進んでいる。カリフォルニアワイン史に大きな足跡を残したパイオニアが消えた。

2007年2月11日日曜日

スーパーボウル

イエス! 遂にコルトが優勝。
49ナーズがほとんど最下位チームになってちょっとめげていたけれど、コルトがスーパーボウルで優勝して嬉しい。コルトのコーチ、トニー・ダンジーはタンパ・ベイで強いチームを作り上げた矢先に追放されて、その年に別のコーチ(オークランドのレイダーズのコーチだった)が、ダンジーが作り上げたチームで優勝したり、無敗でシーズンを終えたのにプレイオフで負けたりで、なかなかスーパーボウルまで行き着けなかった。
信仰深さからくる穏やかな表情、謙虚で秘めた闘志を持ちながら、不運な彼を、私はいつも応援していた。クオーターバックのマニングも素晴らしい成績をシーズン中に残しながら、プレイオフになると勝てなくて、その重圧が彼の肩にずっしりとのしかかっていた。その二人が遂にスーパーボウルで優勝を果たしたのだから、心が温まった。ワイドレシーバーのハリスも決して目立った行動はせず、しっかりとボールをキャッチして静かにボールを置いてまた試合を続けるというクールさで、チームのイメージにぴったりのプレイヤーだ。スーパーボウルでもキーポイントできちんとボールをキャッチしていた。でもゲーム後に目立とうとテレビカメラの前に出てくることはなかった。
 

スーパーボウルのゲームの日は二つのイベント?があって、忙しかった。11:30から我が家でブランチ。シャンパンとワインをたくさん飲んで、お腹一杯、料理を食べた。これはベトナム旅行の写真をスライドにしたのをみんなで見るための集まりだった。ゲストも入れて全部で10人。ミモザ(シャンパンとオレンジジュースのミックス)で乾杯。カヴァ、ブーブ・クリコ、スラムズバーグ、グローリア・フェラーとシャンパンを結構飲んだ。ベトナムでいつも麺類を食べたので、レイが前の晩3時間かけて、スランティングドア(サンフランシスコにある人気のベトナム料理のレストラン)のレシピーを元に麺類のスープを作った。それにベトナムのミートボールのサンドイッチ、これは絶品だった。 
写真の私はカメラを無視して横向いているか、笑っていない顔ばかりだったと旅行のメンバーの一人、たくさん写真を撮っていたブラッドが言ったので、みんな賛成の表情で笑った。「ふーん、そうだったかもね」と私は独り言。 

スーパーボウルは3:30から始まったので、ランスの家に移動。スーパーボウルは彼に家で見るのが習慣になっている。常連のダグとスーザンが、もう来ていた。サンディとランは、コマーシャルだけ楽しみに見るのが、毎年の慣わし。ここでは白ワイン、そして赤ワインをたくさん飲んだ。銘柄は覚えていない。(スーパーボウルに気を入れていたので)スーパーボウルスペシャル、チリホットドッグ、BQ,チップスとここでもたくさんの食べ物とワイン。 
ゲームが終わってからも、彼たちはまだ飲み続ける。私はもう降参。それでも家に帰ったのは10時を過ぎていた。イベントを楽しむのにも体力がいる。