2008年6月11日水曜日
カレラとオーボン・クリマ
2008年4月9日水曜日
アルゼンチン


3月末から4月にかけてアルゼンチンへ行ってきた。
サンフランシスコからダラスへ飛び、乗り換えて南半球のブエノスアイレスに着いた。気温は21度と心地よく、まるで夏のようだった。でも歩道に枯葉が落ちているのを見て、秋なのだと感じた。
ブエノスアイレスはスモッグと喧騒。大都会だ。それでいて、道行く人々は、ゆったりと歩いている。東京のようにせっかちに歩く人は見当たらない。カフェがあちこちにあって、のんびりとお茶を飲んでいる人々。限りなくヨーロッパだ。パリを思わせる町並みなのだけれど、整然とした都市ではなくて、車は車線などお構いなしに走っているし、地区によってはでこぼこの歩道が目立つ。ヨーロッパ風でありながらラテンなのだ。
レストランは夜の9時から。金曜日や土曜日になると家族連れ、友人、老夫婦、若者が、それぞれの生活レベルの中で、レストランへくりだし、和やかに食卓を囲んでいる。到着したばかりの足で、金曜日、ブエノスアイレスのホットなレストラン&ワインバー「ダンソン」へ行く。黒が基調のシックなレストラン。この夜はスタイルの良い,若いワインのサービス担当が数人カウンターに入っていた。ラッキー!ちょっと相棒から遅れて、すでに混んでいるレストランのレセプションの近くへ行ったら、若いサービス担当の男性がさっと寄ってきて、ラテンらしい柔らかなマナーで「キャン・アイ・ヘルプ・ユー?」とささやくように挨拶。いいなあ!
カウンターの席が空いていたので、そこに座って、あれこれワインをオーダー。この若い青年たちはワインについての知識が十分。当たり前だけれど、英語とスペイン語をミックスして話す。アルゼンチンでは今、スシがインのようだ。ここのメニューの半ページはスシだった。といっても刺身の数は少なくて、サーモンと他に2種類の白身の魚だけだったけれど。ベジタブルロールというのをオーダーしたら卵が入った海苔巻きの細まきという感じで出てきた。アルゼンチンの白ワインとよくマッチ。マルベックも美味しいのに出会った。
土曜日の夜は9時に開店と同時にステーキハウスへ入った。味はいいけれど、ちょっと硬めで、ボリュームのある肉料理を2本のワインと一緒に食べ終えて、「よく食べましたね!」とウエイター氏に尊敬されて、笑顔で送り出されたのは11時30分。店内は満席だ、外でテーブルが空くのをゆったりと待っている。私たちのテーブルに「もう出てくださいという」メッセージはまったくなくて、「会計をお願いします」と声をかけるまで、担当のウエイター氏はやってこない。
新聞で高い評価を得たから、行って見なくちゃという人たちもいるのだろうけれど、レストランというのは、そういうものじゃなくて、本当に飲んで食べるのを暮らしの一部として楽しんでいるのが、見た目にもはっきり感じられて、楽しくなった。
今回はホテルではなくて、アパートを借りた。交通の便利がいい、大きな通りの角にあるアパートだったので、外へ出るとカフェ、レストラン、バーとより取り見取り。帰って寝るのは2時、翌朝起きるのは11時と、楽しく毎日を過ごした。地下鉄に乗って、いろんな地区へ行って見た。人で込み合っている地区で、すりに財布をすられてしまった。かあっと頭に血が上ったけれど、強盗にあったわけでもないので、まあアルゼンチンの洗礼を受けたのだと割り切って、旅を続けた。憎めない町なのだ。財布をすられた町で財布を買うのは悔しいからと、入れるものが何もないので、ビニールの袋を財布にしていたけれど、帰りに安い財布をひとつ買った。
数日後に、ワイン産地として知られるメンドサへ移動。飛行機の席が埋まらないとキャンセルするというので、よく知られる航空会社の飛行機は、2回キャンセルになって、お昼に着くはずが夕方の6時に着いた。急ぐときは隣国チリの航空会社の飛行機に乗ったほうがいい。でも「まあここはアルゼンチン。いらいらしても始まらない」と、のんびり構えてメンドサに到着。まだまだワイン発展途上国なのだけれど、質は急激に向上している。まずくて飲めないワインは、あまりなくなっている。それに値段がとっても安い。マルベックに焦点を絞って、いろいろ飲んでみた。(詳細はニュースレターに記載させていただきます。)
帰ってきたら、10日前には遠くからは見えなかったブドウの芽が、10cmほどに伸びていて、畑のブドウ樹のてっぺんは薄緑色に染まっている。2008年のブドウの生長の季節が訪れた。秋の国から春の国へ帰ってきた。不思議な気持ち。
2008年3月12日水曜日
ベルギーでのワインテイスティング




2月末から3月にかけて、ベルギーとパリへ行って来た。
ベルギーのブリュッセルでマークとアニカが1年おきに開催するテイスティングに出席するためだ。今年で10周年を迎える。マークとアニカはヴィンセントというワイン会社を経営している。20年前に娘と3人でキャンピングカーでヨーロッパを巡り、ヴィンエクスポに参加したときに知り合った。「ベルギーへ寄りなよ」というマークの言葉に「オーケー」と夫は軽く答えて、渡されたメモを頼りに、ブルッセルの郊外に住む彼たちを訪ねたのがきっかけだ。ボルドーやブルゴーニュのワインが高く、そして飽きていたマークは情熱を注ぐことが出来る新しい産地を探していた。夫がバイヤーを探していたカリフォルニアのワインがすっかり気に入って、ベルギーで紹介するようになったのだ。
その後、マークはカリフォルニアワイン以外にジェラ、南フランス、ラングドック、ジゴンダス、マディラン、シャトーヌフ・デュ・パプ、南西地方、ローヌ等の産地の無名だった生産者たちをベルギーのワイン市場に紹介した。今ではペゴー(Domaine du Pegau)をはじめ、ホットなワイナリーとして名が知られるようになった生産者も少なくない。マークは、無名な生産者を成功させるエージェントとして押しも押されぬ存在になっている。
テイスティングに参加する生産者が20社ほどだった初回から、夫はカリフォルニアワインを持って参加している。そのころから彼たちの家に泊まるのが習慣になっているのだ。最近のテイスティングには、100の生産者が参加するようになっている。
今年はカリフォルニアワインを10ケース持参。その運びとテイスティングのときにワインを注ぐ助っ人として、私も参加。
今年は相棒が驚くほどにカリフォルニアワインに対する関心が高かった。ドルが弱いからユーロで安く買えることも理由のひとつなのだろう。テーブル2つにずらりと並べられた100本のワインを説明しながら注ぐ。二人ともとても忙しかった。
例年はカリフォルニアワインに関心を持ってブースへやってくるのはオランダとドイツのバイヤーが主なのだけれど、今年はベルギーのバイヤーたちも関心を示していた。
ワインを注ぐためにやってきている生産者たちは、自分たちのブースが暇になるとカリフォルニアの私たちのブースへやってきて、試飲をしながら真剣な顔でフランス語かベルギー語でぶつぶつと話し合っている。
昨年の末に我が家を訪れたジゴンダスの生産者、Domaine Les Pallieresのテリーが待ち構えていたように、私たちのブースにやってきた。2日間、暇があればやってきて試飲している。ドイツ人の奥様、コリナは、自分のラベルで独自のワインを造っているというユニークなカップル。コリナは体調が悪くて、今回は欠席。彼たちが造るワインはモダンなスタイルで、なかなかいい。
2日目の夜は100人の生産者が一同に介して食事をするのが慣わしだ。7時30分にバスが出発するというのに、フランス組みは悠々と遅れてくる。8時30分に出発。夕食に飲むワインを各自持参するようにとマークからの指示。私たちは試飲に使ったけれど、まだワインが半分以上残っているボトルを12本持参した。オープンしていないボトルは、もう残っていなかった。ベルギーは、「なんていったって、フランスワイン」という人たちが住む国なのだから、カリフォルニアワインは自分たちのテーブルで飲むのだろうなと予想していた。席について、持ち寄ったワインを置いてあるテーブルにワインを取りに行ったら、カリフォルニアのワインはすでに消えていた。生産者たちは日ごろ飲む機会がないワインを飲んでみたいということなのだろう。
会食が終わって、夜中の1時過ぎに、アニカが運転する車で帰途に着く。うとうとしていて、ふと外を見ると、雪が降っている。高速の道沿いの枯れ木は雪が積もってまるで白い花が咲いたようだった。こんなに雪を見たのは何年ぶりだろう。
ベルギーという国は平らだ。見渡す限りが平地で丘というものがない。薄い青みをおびた空と雲が長い横じまになって伸びていた。
生えている木々は細くて痩せている。細い白樺の裸樹が目立つ。陽がさす日々が少なく、気温も高くならないのだろう。
テイスティングの2日前に着いた私たちはアルゼンチンから初めてベルギーへやってきたシルビアとウーゴをブルージュへ案内した。相棒がスペイン語辞典を駆使して会話を進める。シルビアの初歩の英語力と私の初歩のスペイン語で女性同士、何とかコミュニケーションを図る。ショッピングとお茶を飲みたいのはすぐに意思が通じた。ブルージュは中世期に作られたとても美しい町。でも外反母趾の手術をして1年後の左足にはでこぼこのコブラ道はきつかった。
ブルッセルからパリまで汽車で1時間30分。着いたパリもベルギーと同じように寒かった。冬のパリは観光客が少なくて、よく言えばしっとりとしている。悪く言えばちょっと暗い。
テイスティングで長年の知り合いになったドメイン・ミッシェール・オジエ(Domaine Michel Ogier)の若き生産者がパリで食べに行ったらいいよと教えてくれたレストラン「FISH」へメトロで行く。彼のワインが置いてあった。店名どおり魚介類専門のレストランだ。オーナーはフロリダに住んでいたキューバ人。ジェランソーのデザートワインや、ロワールのシェナンブランから造った貴腐菌がついたワインなどをいろいろと飲ませてもらって、ほろ酔い。カフェでエスプレッソを飲んで酔いをさます。道行く人たちは寒そうにマフラーに顔を埋めて急ぎ足。
夜はマークが絶対に行ったらいいと勧めてくれたL’atelierというレストランへ行った。香港、ラスベガス、ロンドン、東京、マカオ、モナコ、ニューヨーク、パリ、東京に店を持つJoel Robuchon が指揮するレストランのひとつだ。5時30分の開店を待つお客さんが列を作っていた。満員で入るのが大変らしい。オープンキッチンを囲む36、全席がカウンター。一皿の料理の量は少なめ。新鮮な白身の魚のタルタルとか、サンフランシスコのAME風のものとか、スペイン風の料理とか、クリエイティヴな料理だ。とても美味しいけれど、カリフォルニアで脂っこくない料理を食べなれている胃袋には結構重く感じられた。
ソノマへ帰ってきたら日中の気温は18度、スモモや桃の花が咲いて、初夏なのだ。カリフォルニアに帰ってきたなあという実感を味わう。
2007年12月12日水曜日
メキシカンの結婚式

ひょんなことからナパのワイナリーで働いているメキシカンカップル、ロシタとイダホの結婚式に招かれた。カリフォルニアのワイン産業はメキシコ人の貢献なくしてはありえない。ブドウ栽培、セラーの仕事を支えている。 陽気なラテンのパーティ、マリアッチバンド、メキシコ料理が次々と頭に浮かんでうきうきして出かけた。
レセプションは3時から。すでにマリアッチバンドがメキシコの歌を演奏していた。白い上着に黒いスラックス、赤いリボンタイを結んだ、伝統的なマリアッチバンドだ。一緒に行った友人はどの歌もみんな同じに聞こえると言うので、思わず笑ってしまった。 頭のよさそうな美人の花嫁さん。がっしりした体格の誠実そうなお婿さん。薄紫のおそろいのドレスを着た5人のブライド・メイド(花嫁の付き添い女性)がいる席に案内された。
花嫁、花婿さん自らが「飲み物は?」と聞いてくれて、飲み物を持ってきてくれる。「食事の用意が整ったから、並んでください」と手招きして呼んでくれる。花嫁と花婿の席に鎮座して式典が繰り広げられるという結婚パーティとは違って、アットホームだ。といっても決して親しい人だけのこじんまりした結婚式ではない。300人のゲストがやってくるという。このパーティの出席者のほとんどがメキシコ系の人たちだ。アジア人は私と友人の二人だけ。忙しいのに二人は私たちに気を使ってくれる。
驚いた目でじっと私たちを凝視する人もいたけれど、薄紫のドレスを着た女性たちはフレンドリーだった。ワインのボトルを持ってきてテーブルにおいてくれた。
「あなたはセブンアップを飲んでるの?」
「ノー、テキーラがミックスしてあるの」と言ってブライド・メイドの一人がにこっと笑った。
「素敵なヘアスタイルね」
カールをして結い上げてある髪を指差していったら「お友達が結ってくれたの」という。なつかしい素朴な日本の結婚式を思い出す。
ランチが終わったら、花婿さんと友人の男性数人がごみ用の大きなビニール袋を持って、お皿やコップを片付けだした。 花婿さんが後片付けをしているのは、初めてみた。
そして次の部屋へ移る。平均年齢45歳くらいかなという年配風の演奏者がほとんどのマリアッチバンドが、相変わらずメキシコの歌を演奏している。日本で言う演歌なのだろう。
まだ食べている人もいれば次の間で椅子に座って、話すでもなくボーっとしている人たちも多い。日本の結婚式のように式場担当者とか進行係と言う人がいないらしいのだ。程よいころだと思うとお婿さんとお嫁さんが指示して、次のプログラムに移るということのようだった。かれこれ1時間30分は、何もしないでボーっというのが続いた。そしてようやく次の、もう少し現代的なバンドがやってきた。
花婿さんが選んだという曲で二人がダンス。それからブライド・メイドの女性たちと家族らしい男性と数人の女性が踊る。 急ににぎやかな曲に変わって、花婿さんと花嫁さんが椅子の上に立ってヴェールを片方ずつ握ってゲートを作った。そのゲートを紫のドレスを着た女性たちが列を作って小走りに駆け抜けて次の部屋に行って、帰って来る。独身女性はその列の仲間に入る。音楽が消えたところで花嫁がブーケを放る。ブーケを手にした女性は、次に結婚するのは私だ!と歓喜の表情で飛び跳ねる。次は男性グループの番だ。すごいスピードで列が走る。曲が止むと花婿が花嫁のスカートの下に入って取り外しはずしたガーターを男性たちに向かって放る。
10歳くらいの男の子が全員にマチ針を配り始めた。友人が隣の品のいい黒のスーツを着た女性に「これは何ですか?」と聞いたけれど、英語は話さないようだった。私が隣の男性に聞いたら、お金をこの針で彼たちの服につけるのだと言う。友人と二人で張り切って待ち構えていた。気が付いたら、マチ針で花嫁か花婿の服にお金をつけて花婿か花嫁と踊るのだ。私たちはアラビアンダンスのダンサーが腰を震わせて近づいてきたら、お金を胸とか腰に入れるのと勘違いしていたのだった。友人が「そうよね、ラスベガスじゃないんだから」と言うので大笑いした。
すでにとても疲れている花嫁さんは、いろんな人が入れ替わり立ち代りやってきてはお金を止めた人とダンスをするのに疲れた表情をしていた。花婿さんはリボン状に折ったドル札を頭に飾られて、それでも余裕たっぷりに踊っていた。それが終わって花嫁と花婿が再び二人で踊ることになったときには、花嫁はほっとした幸せそうな表情を見せた。 「ウエディングケーキを食べたら帰ろう」と友人が言うので待っていたけれど、なかなかウエディングケーキのカットはしない。花嫁さんに聞いたら、いつになるかわからないと言う。
テンポの速いサンバが演奏されて、ダンスをする人たちが増えた。ちょっと太目のお姉さまやおじ様たちが足取り軽くステップを踏んでいる。そのリズム感はさすが。ダンスをする人たちで埋まったフロアーを10人くらいの子供たちが興奮してすごいスピードで走りまわる。誰も気にする人はいなくて、ダンスのひとつの場面という感じなのだ。 7時になっていた。あたりは暗くなったのでウエディングケーキを食べるのはあきらめて帰ることにした。
帰り道に、大きな贈り物を抱えてやってくる人たちと出会う。 食事は親類が、ウエディングケーキは友人が、花嫁ドレスはお母さんが縫ってくれたという。手作りの結婚式。 日本のホテルでの結婚式なら、この時間内にもう3つの披露宴が終わっているかもしれない。
待つことをちっとも苦にしない、ぼんやりと座っていることが多分日常なのだろう。そしてこのパーティはきっと夜中の12時まで続いたことだろう。
人任せではない、自分たちの結婚式を自分たちで取り仕切っていた。 責任感のありそうな花婿さんと働き者の美人の花嫁さんの幸せを祈って帰路についた。
2007年10月7日日曜日
ハーベスト&ツーリスト

9月末、ナパ・ヴァレーに仕事で通った。ハーベストは真っ最中だった。そして多くのツーリストがやってきている。ワインカントリーはディズニーランドの次にツーリストが多いという事実を実感。
朝、約束の時間に間に合うように、十分に時間をとって家を出たはずなのに、遅れそうになってあせった。
朝に摘んだブドウを積んでゆっくり走る大型トラクターは後ろに(私の車も含めて)たくさんの車を従えて、行列のようにゆっくりと進む。大型トラクターが目的のワイナリーへ行く小道で曲がったので、さあ、これからスピードが出せるかなとほっとしていると、「ノー、ノー、みんなが過ぎるまで待って入ってよ」という私の願いもむなしく、よろよろと車が行列に入り込んでくる。テイスティングを終えたツーリストが次のワイナリーを目指している。この車はワイナリーを探しているし、ワインもそこそこの量を飲んでいるだろうから、それにバケーションだから急いでいない。ゆっくりと辺りの景色を見ながら規制速度以下で悠々と走っている。
ワインビジネスの景気がいいことは聞いていたけれど、その好調ぶりを目の当たりに見た。ナパ・ヴァレーのカリストーガという温泉が出る小さな町に近い、このヴァレーの北端に2つのリゾートホテルが新設されていた。そしてどのホテルも豪華版の車がびっしりと駐車されている。こんな遠くの何もないところが好評なのだ。カリストーガ・インは部屋がコテージ風でメインの建物から離れていて、気軽に歩いてというのではなくて、いちいち電話を入れてゴルフ場で使われているカートで迎えに来てもらわなければならない。山の中にあって、夜は山猫が徘徊していると地元の人が言っていた。
訪問客で賑わっているワイナリーというと、やっぱり大型ワイナリーだ。スターリング、ベリンジャー、モンダヴィのテイスティングルームは満員。スターリングは丘のてっぺんにあるので、ケーブルで登って行く。これがまた人気らしく長い列が出来ていた。なんだかディズニーランドにやってきた気分。
ケーブルからの見晴らしはとてもいい。ヴァレーをはさんで向こう側の山の中腹に中世のフランスのお城のような建物が見える。最近、サツイというワイナリーのオーナーが4500万ドルで建てたもので100の部屋があるという。キャッスル?の名前はCastello di Amorosa。
ここで共和党の大統領候補者ジュリアーニ氏(元ニューヨーク市長)の資金募集パーティが開かれたそうだ。レセプションだけだと250ドル、レセプションと写真を一緒に撮ってもらうと1000ドル、ディナーだと2300ドルだそうな。
2007年のハーベストは終わりに向かっている。毎日、車で通る近所のブドウ畑のカベルネもシラーも摘み取られて、ある朝、忽然と消えていた。
2007年8月29日水曜日
2007年ハーベスト始まる

久しぶりにナパへ行く機会があった。この週は暑い日々が続いて、外へ出ると強い日差しがぴりぴりと肌を焦がすのがわかる。日本では男性用日傘も売り出されているようだけれど、ナパで日傘をさす勇気はまだない。いいことなのだけれど、なんだか弱々しいというイメージを勝手に自分に対して抱いてしまうからだ。
8月21日、ホール・ワイナリーへ立ち寄ったら、最初のソーヴィニヨン・ブランを摘んだといっていた。担当の女性が「ブドウが音をたてて熟している」と表現していた。
収穫時期が今年は早いというワイナリーと例年通りというワイナリーがあって、畑によってまちまちだけれど、全体の印象としては収穫時期が早いような気がする。春から夏にかけて気温が安定して、ブドウは順調に生育し、熟してきた。8月中旬、1週間ほど高気温が続いたので、糖度が急激に上がり、畑によっては収穫が早まったということなのだろう。いよいよ2007年ヴィンテージの始まりだ!
先週は気温が27,8度と落ち着いていてのだが、今週は32度を超える日々が続きそうだ。もう少し熟したらいいと思っていた畑はこの気温ににっこり。逆にナパの温かい畑は、これでいよいよ収穫が早まるなというのが実感だろう。
ナパのワイナリーを訪れていて感じたことは、オーキーなタイプのシャルドネから酸味が利いたタイプへ、そしてライプスタイル、プルーンの味がするような過熟ブドウから造られたワインのスタイルから、もう少しトーンを落としたスタイルへと変化が生じているということだ。
例えばシェイファーのシャルドネ。これまでもカーネロス地区のブドウがもつ特色を生かして、かんきつ類系のきれいで華やかな香りと酸味を生かすためにマロラクティック発酵をしていなかったけれど、それに酸味を強調し、より長くフレッシュさをキープするために100%の樽発酵から小型の樽の形をしたステンレスの樽での発酵もミックスするように変えていた。新樽(50%)、1年使った樽(30%)、ステンレスの小型の樽(20%)という割合だという。
オークの香りが強く、バタリーでトロピカルフルーツの味わいがあるシャルドネが、多数だったのだが、カリフォルニアのシャルドネのスタイルのチェンジが確実に始まっている。
赤ワインのスタイルの変化の例としてはコングスガードの2005年のシラー、カベルネ・ソーヴィニヨン。2004年に比べると2005年はブドウの熟し具合のトーンが落ち着いている。やや涼しかった2005年の自然が与えてくれた原料ブドウを生かして、エレガントさを強調したワインに仕上げてあった。コングスガード氏はこのタイプのワインのほうが好きだという。また白ワインも酸味を残すために、以前に比べると糖度が少し低い時点で摘んだという。
あるワイナリーのオーナーは、2005年の彼の赤ワインは過熟じゃなく、引き締まっていることに関して、「プレスがどう言うかな」と少し気になる様子だった。
1997年のワインは糖度が上がったことから、それまでのワインに比べるとライプでジャミーなものが多くなった。醸造家たちはそのことを心配したのだが、ワインプレスが絶賛したことから、より熟した(時には過熟)ブドウを使ったタイプのワイン造りを続けるワイナリーが増えていった。そのことを思い出して、このオーナー氏は言ったのかもしれない。
今後、ヴィンテージによっては、ジャミーでライプなワインが生まれることがあるだろうが、意識的にハングタイムを長くして、極限まで糖度をあげてから収穫して造るワイナリーは少なくなるだろう。
2007年の夏はあっという間に過ぎてしまった。そしてハーベストシーズンだ。このまま順調にハーベストが終わりますように!
2007年7月31日火曜日
2007年ブドウの成長は順調

今 年の夏はやたらにいそがしく、とても短い夏になってしまいそうだ。6月10日からヨーロッパへ2週間行ってきた。帰ってすぐにサンタ・バーバラ、そして日 本へ帰国。2週間の滞在を思う存分楽しんで帰ってきたら、もう7月も終わり。そして8月は娘がサンフランシスコからサンディエゴに越すので、その手伝い。 これが終わって一息つくと、もう8月も半ばを過ぎているだろう。
と いうわけで日本から帰って久しぶりにゆっくり見たブドウ畑は、もう色付きが始まっていた。今年のブドウの成長は大きな天候の変化や悪天候がなく順調だ。成 長具合は遅くもなく早すぎもせずというところだそうだ。でもまだ早熟品種の収穫が始まるまで1ヶ月、カベルネなどの晩熟品種だと2ヶ月あるので、順調だと いう言葉ももごもごとしていて明確には言わない。自然を相手にしているのだから、まだまだ先はわからないということをいやというほど知っているからだ。と にかく良い年になることを祈るばかりだ。ブドウの房の数や大きさも、ほどほどだという。まあ今のところいい感じってというところ。
日本には日航で行ったのだけれど、サンフランシスコから成田までの飛行機の中で「東京タワー、おかんとぼくと、ときどきおとん」というのを、たまたま見 た。見ている間中、涙が出て止まらなかった。この映画のことを友達に話すのにオダギリ・ジョーという俳優の名前を覚えておこうと名前を繰り返して頭に入れ たはずなのに、なぜかしら所ジョージって名前が出てきてしまう。所ジョージって少し出っ歯(失礼!)のコメディアンだよねと一人で失笑。ついにノートを取 り出してメモをする始末。暗記力の衰えをここでも感じる。行きも帰りも同じ映画だったのが残念。さすがに何回も繰り返してみる気にはなれなかった。
梅雨真っ最中の東京から肌寒い札幌へ。羽田行きのバスを待っているときは「暑いから冷房の利いた室内で待っていてください。お呼びしますから」といわれて 室内で。千歳ではバスを待っている間、外は寒いのでビルの中で待つという極端さ。やけくそになった娘は「ここは冬か」とばかりにジングツベル、ジングルベ ルとクリスマスの歌を歌い出す始末。
ストックホルムで見たと同じ北国特有の淡い緑色の木々に心を洗われ、懐かしい友人、懐かしいススキノでたっぷり楽しんでしっかり充電してソノマに帰った。 薄ら寒い朝の霧、昼ころから現れる真っ青な空、ブドウの成長振りを眺めながらの運転。ワインカントリーでの暮らしに戻る。