2005年6月25日土曜日

ピザパーティ




ナパにあるワインリー、ヘイヴンズのオーナー・醸造家、マイケルからピッツアを焼く釜を作ったので、夕食にいらっしゃいと電話があった。キャサリーンとマイ ケルは我が家の犬、7月末に亡くなったゴールデンリトリーバー、サミーの父親と弟の犬の持ち主なので、なんだか親類のような気持ちなのだ。 
   サミーのお母さんはフロッグス・リープのジョンの前妻ジュリーの犬だ。10年前、日本からの訪問者たちとフロッグス・リープ・ワイナリーを訪れて、芝生に敷 いたブランケットに座ってピクニックを楽しんでいたときに7,8匹の子犬が耳をぱふぱふさせながらパーッと私たちめがけて走ってきた。一種の演出だった。 そのうちの1匹が私の膝に乗って、背伸びをして顔をなめた。思わず「うちの子になる?」と聞いたのを耳にしたジョーンが「大切にしてくれるかい?」と電話 をくれたときに、「もちろん!」と叫んだ。そして本当に美しい犬が我が家の家族になった。10歳になったばかりのサミーは7月の末、朝早に眠るように逝っ た。

   数年前に、マイケルとキャサリーンがサミーのお父さんと弟を連れて我が家へやってきた楽しい思い出がある。そして昨年、我が家へ二人がやってきたときには、 サミーの弟もお父さんももう亡くなっていた。サミーを見て「お父さんと同じ顔をしている」と、亡くなった愛犬を思い出してマイケルの目が潤んでいた。今の私と同じだ。 

   ピッツア・ディナーに招かれた日は、我が家にスウェーデンからワインライター、エンブレ・デューズが来ていたので一緒に行くことになった。マイケルのお宅には マイクロオキシジェネレーションの会社のテリーとボルドーのRAVZANの醸造家、モーレが来ているというので、国際的なピッツアーパーティとなった。

   約 14,5年前のことだ。マデランへ行った。試飲させてもらったマデランの赤ワインはタンニンがかなり強くて、きれいなフルーツが隠れてしまっていた。その タンニンをソフトにするための器具(他にも効果があるけれど)として、パトリックが、マデランの自宅の納屋の二階で実験をしているのを見せてもらった。そのパトリックのアイデアは大当たりでいまや世界中から器具の買い手が現れて引っ張りだこ。おまけに競争相手の会社まで現れている。
すさまじい運転振りでマ デランを案内してくれたパトリックが、マイクロオキシジェネレーションの生みの親なのだ。テリーがカリフォルニアのセールスを担当していて、数ヶ月に何度 かずつ、フランスからカリフォルニアにやってくる。テリーが大学を卒業したばかりのころ、ワイン生産の体験をしたいといってカリフォルニアへやってきた。 ハーベストが終わって、ソノマ、ナパのワイナリーを回りたいというので、長髪でオートバイに乗ってやってきたテリーに、当時借りていたアパート兼オフィス に泊めてあげたら、お礼としてオフィスをきれいに掃除してくれた好青年だった。この日、テリーと一緒にディナーにやってきたモーレはボルドーの RAVZANでこの器具を86機使っているという。

   スウェーデンのライター、エンブレはなんと国会議員でもあるという。モデレート・パーティ(穏健派)に属するリベラルコンサーバティヴ(保守的でありながら リベラル?)で、ゲイ同士の結婚とか、妊娠中絶に関しては賛成なんだそうだ。スウェーデンは社会主義の国なので、輸入するワインは政府のワイン担当機関の 許可を得なければいけない。そういう国で国会議員であってワインライターというのは、どういうことなのだろう。でも彼はとっても楽しそうで、ワインに誠実 だった。 
ベランダのテーブルにオリーブ、パン、チーズ、イタリアの生ハムなどと一緒に2つの白ワインが並べられた。 

2004年、Havens のアルバリーニョ
カリフォルニアの白とは思えないきれいな酸味とピュアーなフルーツ。「日本食に良くあうね」とエンブレが私を見てにっこり。 

1999年、Havensシャルドネ、マグナム
へイヴンズではもうシャルドネは生産していない。黄金色、ピーチ、アプリコット、ピーナッツオイル。14年たったシャルドネは今が飲み頃だった。「カリフォ ルニアのシャルドネは長くもたないといったのは、だれだっけ?」とキャサリーン。ボルドーの醸造家、モーレが「トレ・ボン(とてもいい)」と言った。 ピッツアの釜に入れた火が赤くなるのを待っている間、レイとマイケルはひと泳ぎ。カリフォルニアのライフスタイルだ。泳がない人たちのためにキャサリーンが赤ワインを持ってきてくれた。 

2002年Havens メルロー
ブラックベリーなどの黒系フルーツ。味わいにフルーツの核がある。なめらかで美味しい酸がたっぷり。酸はもう少しこなれるまで待ちたい。 「ピッツアが焼けたよ!」とマイクが叫ぶ。いそいそとダイニングテーブルに向かう。フレッシュで新鮮な素材を使ったピッツアはとっても美味しかった。
デザートもピーチがトッピングのピッツア。8つの違うトッピングのピッツアをいただいた。 アルザス出身のテリーがピッツアを食べながら、「アルザスにもピッツアがあるよ」という。ホワイトソースかサワークリーム、ベーコン、ナツメグなどが載せられるのだそうで、アルザスの白ワインにマッチしそう。 

1994年Havensボリコ
これはキャサリーンが「ブラインドでね」といってあけた。私はカリフォルニアのテンプラニーリョかと思った。良く熟成していたので、古いヴィンテージであることだけは確かだったけれど、ブドウはメルローとカベルネ・フランだった。 

1994年Pahlmeyer メルロー
「も う一つブラインドよ」とまたキャサリーンがオープンした。ポテトスキンの香りとタンニンが際立っていた。デキャンタをしたら?と言う私の意見に快く賛成し てくれた。デキャンタ後は全く別のワインの表情を見せてくれた。香りがよみがえってカシスの香りが立ち上がってきた。フルーツの甘味、酸はまだこなれてい ない。今流行の濃くて厚みのあるタイプではなくて、まだ若くてチャーミングなカリフォルニアワインだった。
「こういうワインの時代の終わりが始まった年」 と誰かがぽつりと言って、みんながうなずいた。 その他に4本ほど赤ワインが出て、コニャックが出てきた。私は運転しなければならないので、水に切り替えた。 レイとマイクは政治の話になると止まらない。会話を強力に中断させて帰途に着いた。