2006年1月26日木曜日

醸造家になってみたい?

1月26日のクロニカル誌に醸造家希望の素人を応募するという記事が載っていた。アメリカに住んでいられる方はご存知のように、最近のテレビ番組はリアリ ティ・ショーが多い。素人やその分野の専門家でない人が挑戦するというものだ。日本でも有名人がいろんなことにチャレンジしてみるという番組がある。ま あ、似たようなものですね。
   PBS(パブリック・テレビジョン)が The Wine Maker というタイトルで2007年の春からシリーズで放映するという。9月から撮影を始めて自分のラベルでワインを出すまで6人が競うコンテストだ。 この番組の撮影現場はパソ・ロブレスとサン・ルイ・オビスポ。コンテストは栽培、醸造、販売、マーケティングの全てを体験するというもの。 10都市でオーデションが行われる。
2月1日はアトランタ、サンフランシスコは5月2日。パソロブレスとロスアンゼルスでもオーデションが実施される。 候補者は21歳以上、アメリカ市民権、あるいは永住権保持者でなければならない。ワイナリーの従業員、ディストリビューターで働いている人は資格なし。参加者として選ばれてもギャラはなしだけれど、番組参加経費は支払われるという。関心のある方はcasting@doccity.comまでEメールをという ことです。 
  日本にいられる方は残念ながら、参加資格がありませんが、日本でもこういう番組が企画されるといいですね。

2006年1月18日水曜日

抜糸とランチ

片足で松葉杖での移動になれたころ、手術後、2週 間後に手術医、ドクター・ブリッツを訪問。大柄の男性看護士が抜糸を始める。骨の手術部だから頼もしい男性看護士がいるのかなと思って、聞いてみたら、メディカルアシスタントという職業名で今は男性女性はほとんど関係ないという。婦人科では女性アシスタントをリクエストする患者さんもいるけれどということ だった。でも太目の指で抜糸を始めたときは、ちょっと冷や汗が出て、女性看護婦さんが華奢な指で優しく抜糸してくれるのもいいよなと思った。 
  手術前の先生とのミーティングのときに松葉杖とロボットの足みたいなブーツを渡された。鎮痛剤の処方箋をもらって松葉杖とこのブーツを抱えて薬局部へ行ったときには大変だった。ブーツが椅子から転げ落ちたり松葉杖が椅子二つを占領したりで汗をかいた。
こんな大げさなブーツが必要なはずはない。ドクター、ブリッツが間違ったのだろうとたかをくくって返すつもりで持参したのだが、なんとこれを私が履くのだという。履き方を知っているかと聞くので、もちろん知らないといったら、ブーツ担当の男性が来て丁寧には履き方を説明してくれた。4週間はこれを履かなけれ ばならない。1週目は25%の重み、2週間目は50%、3週間目が75、4週間目が100%体重をかけてもいいのだという。25%ってどうやってわかるの かなと思案していると、ブーツ担当のメディカルアシスタントが体重を4で割って、その分を体重計で測って重みをかければいいという。なるほど。ブーツの重 みを量ったら3ポンド。25%というのは、ほとんど軽く足を床に触れる程度だとわかった。片足の松葉杖と両足をついていながら体重をかけられない松葉杖で の歩き方ではちょっと様子が違う。でも両足がつけるとなんとなくほっとした。 
   2週間ぶりの外出だ。レイとランチはWILLI’S のワインバーで食べることにした。メニューがインターナショナルで一皿の量が少なくて味も悪くない。それに少量ずついろんなワインが飲めるのが何よりも嬉しい。ドクター・ブリッツに「もう、ワインを飲んでもいいですよね」と確認を迫る問い方をしたもので、私の仕事を知っているドクターはうつむいたまま、 ノーとはいえないなという感じで「うん、、、、いーいヨ」と言った。 
   私はピノ・ノワールのフライトを、レイはカベルネのフライトをオーダー。 私のフライトはランドマーク(Landmark),ペレリン(Pelerin)、リンマー(Lynmar),ダニエラ(Daniella)の4つ。

ランドマーク Landmark 2003年 Grand Detour

ライプチェリー、なめし皮の香り。ビーツ、軽めのベーコン、バランスのいいワイン。
この生産者のワインは、いつ飲んでも期待がはずれない。安心して飲める。醸造責任者のエリックは腕のいいクラフトマンだと改めて実感。($30)

ペレリン Pelerin 2004年 サンタ・ルシア・ハイランド

スパイス、なめし皮、チョコミント、チェリー、なめらかな口当たり。時間がたつと開いて美味しさが増した。若いカップル(UCデイヴィス校で栽培醸造学を学 んだクラスメート)が設立した小さなワイナリー。2002年にシラー(130ケース)ピノ・ノワール(165ケース)6年間で3750ケース生産を予定。 ブドウ畑は所有しておらず、良質ブドウを買ってワインを生産。カップルの大志が遂げられることを祈る。($30) 

リンマー Lynmar 2002年 Quail Hill

ロシアン・リヴァー・ヴァレーにあるワイナリー。ローズの花びらの香りの背後に森の湿った落ち葉の香り。ちょっと生の酸。長いフィニッシュ。終わりに苦味が感じられるのが残念。
($45)

ダニエラ Daniella,2002年ナパ・ヴァレー
ライプチェリー、スパイス(クローヴ、シナモン)、まろやか。フルーツ(ベリー)の甘味と酸味が程よくフィニッシュもいい。今飲んで美味しいエレガントでス タイリッシュなピノ・ノワール。今までに聞いたことのないワイナリーで、サイトもない。良質のバルクワインを買ってブレンドしたか、良質なブドウ畑を見つけてそこのブドウを買ってこのピノ・ノワールを造ったワイナリーかもしれない。($38) 

   久しぶりに飲むワインに気を取られて、レイがオーダーしたワインをチェックする暇がなかった。 車外の景色はなんとなく春めいて、ブドウ畑の半分以上は剪定が終わっている。萌えるような若緑の下草が目に染みた。

2006年1月4日水曜日

Happy New Year!




皆様 新年おめでとうございます。良いお年をお迎えになりましたか? 私はカリフォルニア原産?のフルーでホリデーシーズンを過ごし、大晦日、元旦は大雨で迎えました。 ク リスマスイブは家族3人でナパヴァレーのセントヘレーナにテラというレストランを持つ曽根さんがサンフランシスコにアメ(雨だと思う)というレストランをオープンしたというので、予約を入れて、出かけるのを楽しみにしていました。ところが3人ともフルーに罹って、クリスマスイブは頭痛、鼻水、くしゃみに咳き、午後3時ころまでは何とか行けるだろうと気力を貫いていたのですが、遂に3人とも「これはだめだわ」観念して、泣く泣く予約をキャンセル。ソノマでの出前というとメリーピッツしかなく、サラダとパスタを注文してなんとも情けないクリスマスイブとなってしまいました。

  翌日、クリスマスはランスとサンディ の家に招かれていたので何とか出かけました。1976年のサロンのシャンパン(マグナム)で乾杯。泡はちょっと弱まっていましたが、アーモンドの香りと シャルドネの味がしっかりと残っているのが印象的でした。前菜はシャトーヌフ・デュ・パプ、97年ピノ・ノワールやローヌの赤、ジンファンデルを飲んで、 いよいよ席についてのディナー。亀のスープとドイツのリースリング、最高の出来のローストビーフ(1ヶ月熟成した牛肉だそう)を持参した1995年のポー ルホブのカベルネでいただきました。ポールホブはどんな風に熟成しているかなと期待していたのですが、やや期待はずれでした。涼しい年の印象を残してそのまま凍結質得るような幹事でのびやかな熟成間はありませんでした。2000年代の彼の造りとは多分違うと思うので、2000年代のポールホブのカベルネの 熟成を予測することはできません。デザートのころには、私はもう目を開けていられなくなって、ベッドルームでちょっと横になるつもりが寝てしまって、帰る よと娘に起こされる始末。その翌日、26,27,28日と連続のパーティ、29,30、31日と元旦のパーティ用の自己流おせち料理作りに没頭。1月4日の今日、よくぞ持ったものだわと感心しています。

  31日はランスの家で恒例のニューオリンズスタイルのニュー・イヤー・イブのディナー。ランスとサンディの家の素晴らしい庭は、前夜の大雨で丘から流れてきた激流ですっかり破壊されていました。 ニュー オリンズのスパイスを使ってロブスター、サヤインゲン、とうもろこし、にんにくなどをまるごと大きな鍋でゆでる。それをビニールと新聞を敷いたテーブルに広げて、手で裁いてべる。食べ終わると新聞をくるくると巻いてゴミ箱へぽい。きれいなテーブルになったところで、あらためて赤ワイン、チーズ、デザート などを食べながら、新年を迎えるというのが私たちの慣わしなのです。この夜のゲストは13人。よく気心の知れた仲間たちで本当に楽しい。ハーフムーンベイ に住む友人が作ったチョコレートムースは最高に美味しかったあ!このカップルはドイツ系だそうで、ドイツの習慣だということで、秒読みが始まるとテレビの 前で一口サイズに切ってあるニシンの酢漬けを爪楊枝に刺して、口元に持って待機。これをするとお金の心配がなくなるのだというので、私もあやかろうと食べ ることにしました。「3、2、1、ハピー・ニュー・イヤー!」でばっとニシンの酢漬けを口に入れました。甘酸っぱくて悪くない。隣でニシンの酢漬けなど口 にしたことのないリサが「私も」と一緒にばっと口に入れて、「ギャー!まずーい!」と叫んだので大笑い。1996年のドンペリニョンで乾杯。きめの細かい 泡、イースティで、それでいてフレッシュで軽やかなシャンパンでした。

  2006 年1月1日も大雨。カレラのジャシュはホリスターの家から参加する予定だったけれど、「僕は今日はどこへもでかけないことにした」と電話がかかってきまし た。バークレーの友人は嵐は終わって雨降りのようだから行くよと電話があったのですが、1時間後に途中で道路が閉鎖になったから断念して引き返すという電話。グレン・エレンに住む2カップルは床まで水が浸水して、泥だらけで家具の移動にてんてこ舞いで行けないと電話。35人がやってくるはずだったのが、な んと来客予定の10人が来られなくなってしまいました。 それでも25人が集まって、日本酒、シャンパン、白ワイン、赤ワイン、ビールと、みんなたくさん食べてたくさん飲んでました。まめまめしく働くようにと黒豆 を例年通り白人の友達全員に強制的に食べさせました。驚いたのは、昆布巻きが好評だったことです。毎年、友人たちは私のおせち料理に馴れていくようで、嬉 しい気分です。「僕の大好きな1月1日の過ごし方なんだ」と大男が嬉々として、私の料理を食べてくれるので、くすぐったい気分です。 

  ソノマ、ナパを始め、数カウンティが洪水の被害を受けました。カリフォルニアは日本と違って台風が毎年来るという気候ではないので、集水溝の設置などがきちんとされていないので、大雨が降ると小さな川まで氾濫してしまうのです。 今は、損害を受けた家の修理、洗浄に関心が集まっているので、ブドウ畑の被害の報告は後になるでしょう。今のところ、大きな被害を受けたワイナリーのニュースは耳に入っていません。 
というわけで新年を祝う余裕もなかった人たちが多く出た2006年の始まりだでした。 
  そして私事なのですが、1月5日に私は外反母趾の手術を受けることになっています。昨日、詳しく先生が説明してくれたのですが、右足なので、なんと2ヶ月間 は車の運転ができないというのです!イベントやインタビューに今までのように出かけられなくなるので、ちょっとパニック気味です。「インタビューしたい人に家に来てもらえばいいよ」とレイは涼しい顔で言います。 

今年もよろしくお願いします。