2008年6月22日日曜日

ブダペストのワインバー


オーストリアのスキーリゾートが並ぶ地帯を山越えして、ハンガリーに入る。とうもろこし畑(家畜の飼料用)、かぼちゃ畑、麦畑が地平線のかなたまで広がっている。農業国であって、オーストリアやチェコ、ドイツに比べると、まだまだ貧しい国であることが伺える。
ハンガリーは北欧の中では暖かく、久しぶりに夏服姿で歩く人々を見た。ブダペストは美しい都市だ。おしゃれな女性たちが目に付く。こんもりと葉が茂った木々が並ぶ歩道にあるカフェで、カプチーノを飲む。パリを想わせる街並みなのだけれど、人々はもう少しゆったりしていて、リラックスしている。
ホテルから10分ほど歩いたところにあるDomus Vinorum というワインバーに行った。一階がワインショップで地下がセラーとワインバーを兼ねている。プラハでも、オーストリアでもサッカーのプレイオフを観戦する人々であふれていたけれど、ブダペストも例外ではなくて、この日はドイツとポルトガルのゲームが放映されていて、スポーツバーやちょっとしたカフェでは人々がテレビにかじりついていた。なんとワインバーも例外ではなくて、大きなスクリーンがあってお客さんはワインを飲みながらのサッカー観戦をしている。
ハンガリーには22のワイン地区があって、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、カベルネ・フランのほかに、この国独特の品種が多くある。例えば白なら、Budai Irsai Olive, Keknyild, Keubrankos, Rutrese といった品種があって、なんて発音するのか、想像もつかない。Budai Irsai Oliveはフルーティでマスキャットのような香りがしてきれいな酸味の白だった。Keknyildは香りはあまりなかったけれどボディが中くらいでユニークな白で、これもおいしかった。赤ワインのKeubrankosとRutreseという品種はフルーツ味に欠けている。チェコよりは暖かいといっても、赤ワイン用のブドウ栽培にはちょっと涼しすぎるのだろう。
サラミ、ソーセージは自然な味がしてなかなかおいしい。赤、緑、黄色のピーマンの薄切りは甘みがあってこれもおいしい。
ワインバーでサッカーを観戦しながらワインを楽しむとは、夢にも思わなかったけれど、なかなか楽しかった。ドイツが点を入れると立ち上がって腕を高く振り上げて飛び跳ねる。娘はチェコですごした3週間で、ポルトガルのクリスチアーノ・レノルドというプレーヤーの大ファンになったとかで、この日、彼が2回もミスをして、そのせいでポルトガルが負けて、残念がっていた。娘が選んだ写真です!!

2008年6月20日金曜日

Graz (グラッツ)


チェコからハンガリーのブダペストへ向けて出発。途中、オーストリアのグラッツという町で一泊。町の広場には立派な彫刻を施した噴水があって、威厳と優美さが交じり合ったがっしりとした建物が並ぶ。毎日、曇り日、ときどき雨が降る。気温は10度前後。ソノマの冬だ。セーターを持ってこなかったのを悔やむ。でもその気候せいで木々も野原もみずみずしい緑色。

薄ら寒い町を散策後、遅い夕食をとるために9時にレストランへ入る。室内はタバコの煙でむんむん。金髪で目が細めで真っ白な肌の青年ウエーター氏が、まずフランス語で私に話しかけたので、「ノースモーキングがいいのですが」といったら、ぱっと流暢な英語に切り替えて「禁煙席があります」といった。でもこの狭い部屋なら禁煙席まで煙が襲ってくるなあと考えていたら、「別室がありますから」という。喫煙オーケーのレストランの室内を抜けて廊下を歩いて、別室へ案内してくれた。私たち3人だけで、他のテーブルは空席。薄い黄色をベースにしたエレガントな室内。タピストリー、自然派の絵画が壁に飾られている。黄色のテーブルクロスに鉄で作られた小型のキャンドルスタンド。ウエイター氏がキャンドルをともしてくれた。「貸切のレストランだわね」と娘と二人ではしゃぐ。

料理は上品な味付けで食材も新鮮。じっくりと煮込んだ肉料理はとてもおいしかった。サラダのドレッシングはこの地区独特で、パンプキンシードオイルとアップルサイダービネガー。どちらもこの地区で作っているそうだ。地区の名前はSteierと聞こえた。サラダに使われていた小豆色の大きな豆は「英語に訳するとビートルズビーンズです。オーストリア独特の豆です」と教えてくれた。

オーストリアの白ワインというとグルーナー・フェルトナーが良く知られている。でもウエイター氏がブラインドで試飲すると、グリューナー・フェルトナーと間違うという、他の品種の白ワインを勧めてくれた。2007年、Welschriesling (ウエルチュリースリング?)という品種で Sudsteier Mark(南ステイル地区?)とラベルにあった。確かにグリューナー・フェルトナーと似た香りがする。クリーンで、フレッシュ。アップルサイダーを使ったドレッシングのサラダの酸味ともよくマッチ、煮込料理の脂肪もカットしてくれる。

カリフォルニアから来たと告げると、ウエイター氏が「シュワルツネガー知事の州ですね。彼はここから10キロ程はなれた土地の出身なんですよ」という。

11時を過ぎている。お客は私たちと喫煙席にもう1カップルのみ。でも急いでほしいという素振りも見せない。ヨーロッパのしきたりで、「会計をお願いします」というまで、請求書を持ってこない。

10時まで明るい北ヨーロッパ。11時を過ぎて、辺りは暗くなっていた。雨で塗れた石畳の歩道。明朝、オーストリアを通過してハンガリーへ入る。

2008年6月17日火曜日

プラハでワイン、ビール、そしてアブサン



プラハの2夜目、ホテルから5軒ほど隣にあるビアホールへ行った。1499年からオープン、700年の伝統があるという店だ。ドイツと似てる。ソーセージに黒ビール。この日からプラハで3週間の夏期講座を受けていた娘が合流。アコーディオンに合わせて楽しそうに歌を歌っている4人組を見て、「笑顔を見せてるプラハの人間を見るのは珍しい」といった。音がものすごく外れているのを、ものともせず、大声で歌っている。隣のテーブルのカップルが、声をかけてきた。二人はスペインから来たのだそうだ。そのとき、アコーディオンが曲名は忘れてしまったけれど、若かりし日にマドリッドの公園を歩いているときにかかっていた、その当時流行っていた曲をひいた。スペイン人のカップルと話しているときに、この曲が流れて、なんだか感動した。音楽っていいよね。
ワインバーへ寄った。チェコのワインをオーダー。白ワイン、特にリースリングは悪くない。でもカリフォルニアに、もし入っていたとしても(もちろん入っていない)、探してでも飲みたいという質のものではなくて、地元で飲むのに十分というワインだった。赤ワインはフルーツ味に欠けていて、それを補う他の味わいはあまりなかった。
お腹がいっぱいで、ひんやりした空気を頬に感じながら、ホテルへ向かって歩いていたら、ホテルから3軒目のところに、コーヒーショップ風の店があった。まだ開いている。相棒がここでアブサンを飲ませているという。Absinthe Time Cafe Club Bar という看板がかかっている。サンフランシスコの雑誌の副編集長をしている友人が、カリフォルニア(アメリカ?)でアブサンの輸入解禁になって、そのプレスインタビューにいって来たと話していたのを思い出した。「入ってみようよ」家族3人で入る。チェコ語で書かれてるので、よくわからないのだけれど、アブサンのいろんなメニューが載っている。3人、別なのをオーダー。ひとつはきれいなブルー。二つは無色。サービスの女性がテーブルの上にトレーを置いて、角砂糖をアブサンが入ったグラスに入れて、ぱっと火をつけた。アルコール度が60%とあるから、火がついても不思議ではない。グラスから炎があがり、幻想的。もう一個の角砂糖をアブサンのグラスに入れて湿らせて、お皿に置いた。火を消して、グラスを渡してくれた。隣のテーブルの2カップルがじっと見ている。そして「グッド・ラック」といった。飲むとあまりおいしいものではない。味もあまりない。ただ喉から胃までアルコールが通過したあとひりひりとした。そんな私たちをみて、隣の2カップルもピンク色をしたアブサンの飲み物をオーダーして、こっちをみてにっこり。
悪酔いをしてもホテルまでは、近いから這ってでも帰ることができると思っていたので心配なし。
良い心地はとてもいいものだった。「アブサンて飲みすぎると幻覚症状が出るって聞いたことがあるけれど、何か見える?」と娘。「全然」と私。楽しい晴れやかな気分になっていることは確かだ。3人でげらげら笑いながらホテルへ着いた。
翌日、悪酔いの気分は全くない。小さなグラス一杯なら、楽しい気分を味わうことができて、酔いが翌日まで残らないということがわかった。まさかプラハでアブサンの初飲みを体験するとは思ってもいなかったけれど、楽しい旅の思い出。
明日から、オーストリア、ドイツ、ハンガリーを車で回る。

2008年6月14日土曜日

プラハの初夏


昨日、チェコ共和国の首都、プラハに到着。サンフランシスコ空港からイギリスのヒースロー空港へ飛んで、2時間の待ち時間の後、ブリティッシュエアーでプラハへ向かう。パイロットとフライトアデンダントのイギリス英語が、カリフォルニアの標準英語に慣れている耳に、クラッシックでエレガントに聞こえる。相棒にそういうと「気取ってスノビッシュ」と切り返す。機内のミュージックもいい感じのクラシック。初めて訪れる東欧という意識もあって、気持ちも、クラシック?に変わっていく。

プラハの空港は小さくて、なんだか故郷の千歳空港みたい。そういえばストックホルムもそんな感じだったなあなんて考えながら入国手続きの列に並ぶ。

旅の楽しみ方は二つあると思う。ひとつは出発する前に、歴史、見所等をチェックして、その土地に着いたら、その知識を確認するために訪れる。もうひとつは予備知識なしで、訪れて、まっさらな印象を楽しみ、関心や興味をもった事柄を、後からチェックする。私は後者の旅。

気温は摂氏10度。真夏のソノマから来て、突然、冬のソノマに逆戻り。緑がみずみずしい。ホテルにチェックインをして、早速、町へ繰り出す。町並みは整然としていて清潔。札幌の南北、東西の町に慣れているので、放射線状に広がっている路地に気の向くまま入っていくと、方向感覚が完全にずれてしまう。長い歴史を経て磨り減っている石畳の道は、ハイヒールの敵だわね。

ヴルタヴァという河を挟んで町が二つに分かれていて、私たちのホテルはオールド・タウンのあるほう。河にかかっている橋が、またいい。美しい緑色の河に沿って、ホテルから15分ほど歩くと、飲食街に出る。冬のジャケットを着た人たちがのんびりと歩いている。金が屋根に張られた国立劇場は歴史の重さと気品を備えている。カルラブ・モスト(発音は正しくないかも)橋を歩いていたら、小柄な70歳代らしい女性が、私を見て橋の向こう側を指差した。教会の塔の右側に直立に虹がでていて、塔の後ろに夕日が見えた。半円ではなくて、直線に上に上がっている虹を見たのは初めて。

着いたばかりなので、広場の名前がわからないけれど、金色の大きな時計が美しい教会がある広場に大きなスクリーンが張られて、サッカーの試合を中継していた。大勢の人がその広場のカフェに陣取って観戦。私と相棒はその人たちを鑑賞?しながら夕食。どこへ行ってもまずお目にかかるのはピルスナーのビール。私は同社が生産しているというボヘミアン・ブリュットというスパークリングワインをオーダー。フルーティで思ったより飲みやすい。グーラッシュというジャガイモと牛肉をよく煮込んだスープ(これはおいしかった)。今まで見たことがなかったのでオーダーしたのは、魚介類のピッツア。写真がないのが残念だけれど、ムール貝、小エビが殻つきのままのっている。それにイカ、白身の魚。サンフランシスコで食べるチョピーノという魚介類のスープが、ピッツアに変身したという感じなのだ。食べてみた結果?ムール貝や海老の汁が出て、かりっとしているべきの底の部分が柔らかになってしまっていて、あんまり感激しなかった。

ソビエトにコントロールされていた共産主義の時代を経て、資本主義に転向した国。資本主義まっしぐらのアメリカとの、ニュアンスの違いなんかが少しでも知ることができたらいいかな。チェコでもワインを生産しているけれど、自国で消費するのがほとんどのようだ。ワインもどんなものか味わってみたい。

2008年6月12日木曜日

夏真っ盛りのソノマ

6月初旬、華氏89度(摂氏31.6度)、太陽が燦燦と降り注ぎ、肌に焼け付く。でも風が涼しく、木陰に入ると暑さが感じられないところが、この土地の気候の過ごしやすいところ。夜になると気温がぐんと下がるので、エアコンが必要な夏の日は2,3日。家中の窓を開けて涼しい風を家中通過させる。すると暑くて眠られないという夜はやってこないのだ。
この真っ青な太陽とからっと晴れたソノマを後に、明日、東ヨーロッパへ発つ。東京から帰って1週間ほどしかたっていないので、まだ時差ぼけが残っている。この時差ぼけが東ヨーロッパへ行ったら、どういうふうに影響するのかしら?チェコ、ハンガリー、ポーランドをまわる予定。オーストリアにもちょっと寄る。ハンガリーでトカイを飲むのが楽しみ。
小指の先ほどの大きさになったブドウの粒は、2週間後に帰ってきたときには、倍くらいに膨らんでいるのだろうな。 

2008年6月11日水曜日

カレラとオーボン・クリマ

6月3日と4日、カレラのジョシュとオー・ボン・クリマのジムが出席した東京と京都で開かれたセミナーの通訳として同伴。二人とは旧知の中なので、気兼ねなく、ジョークを飛ばしあいながら楽しい旅を続けました。外見はイギリス人紳士風のジョシュとプロレスラー(最近は少し痩せた)のジムでは、正反対なのですが、ワイン造りの哲学は驚くほど似ています。暇さえあれば、熱心にワイン造りについて話し合っていました。二人とも日本食が大好き。なんの違和感もなく美味しそうに食べていました。久しぶりの日本食、私も堪能。日本女性は若々しくてきれいで優しいと二人ともうっとり。カリフォルニア風マナーがしっかり身についてしまった私は、少し日本女性であることを思い出したほうがいいかしら、なんて感じた次第。

2008年4月9日水曜日

アルゼンチン



3月末から4月にかけてアルゼンチンへ行ってきた。
サンフランシスコからダラスへ飛び、乗り換えて南半球のブエノスアイレスに着いた。気温は21度と心地よく、まるで夏のようだった。でも歩道に枯葉が落ちているのを見て、秋なのだと感じた。
ブエノスアイレスはスモッグと喧騒。大都会だ。それでいて、道行く人々は、ゆったりと歩いている。東京のようにせっかちに歩く人は見当たらない。カフェがあちこちにあって、のんびりとお茶を飲んでいる人々。限りなくヨーロッパだ。パリを思わせる町並みなのだけれど、整然とした都市ではなくて、車は車線などお構いなしに走っているし、地区によってはでこぼこの歩道が目立つ。ヨーロッパ風でありながらラテンなのだ。
レストランは夜の9時から。金曜日や土曜日になると家族連れ、友人、老夫婦、若者が、それぞれの生活レベルの中で、レストランへくりだし、和やかに食卓を囲んでいる。到着したばかりの足で、金曜日、ブエノスアイレスのホットなレストラン&ワインバー「ダンソン」へ行く。黒が基調のシックなレストラン。この夜はスタイルの良い,若いワインのサービス担当が数人カウンターに入っていた。ラッキー!ちょっと相棒から遅れて、すでに混んでいるレストランのレセプションの近くへ行ったら、若いサービス担当の男性がさっと寄ってきて、ラテンらしい柔らかなマナーで「キャン・アイ・ヘルプ・ユー?」とささやくように挨拶。いいなあ!
カウンターの席が空いていたので、そこに座って、あれこれワインをオーダー。この若い青年たちはワインについての知識が十分。当たり前だけれど、英語とスペイン語をミックスして話す。アルゼンチンでは今、スシがインのようだ。ここのメニューの半ページはスシだった。といっても刺身の数は少なくて、サーモンと他に2種類の白身の魚だけだったけれど。ベジタブルロールというのをオーダーしたら卵が入った海苔巻きの細まきという感じで出てきた。アルゼンチンの白ワインとよくマッチ。マルベックも美味しいのに出会った。
土曜日の夜は9時に開店と同時にステーキハウスへ入った。味はいいけれど、ちょっと硬めで、ボリュームのある肉料理を2本のワインと一緒に食べ終えて、「よく食べましたね!」とウエイター氏に尊敬されて、笑顔で送り出されたのは11時30分。店内は満席だ、外でテーブルが空くのをゆったりと待っている。私たちのテーブルに「もう出てくださいという」メッセージはまったくなくて、「会計をお願いします」と声をかけるまで、担当のウエイター氏はやってこない。
新聞で高い評価を得たから、行って見なくちゃという人たちもいるのだろうけれど、レストランというのは、そういうものじゃなくて、本当に飲んで食べるのを暮らしの一部として楽しんでいるのが、見た目にもはっきり感じられて、楽しくなった。
今回はホテルではなくて、アパートを借りた。交通の便利がいい、大きな通りの角にあるアパートだったので、外へ出るとカフェ、レストラン、バーとより取り見取り。帰って寝るのは2時、翌朝起きるのは11時と、楽しく毎日を過ごした。地下鉄に乗って、いろんな地区へ行って見た。人で込み合っている地区で、すりに財布をすられてしまった。かあっと頭に血が上ったけれど、強盗にあったわけでもないので、まあアルゼンチンの洗礼を受けたのだと割り切って、旅を続けた。憎めない町なのだ。財布をすられた町で財布を買うのは悔しいからと、入れるものが何もないので、ビニールの袋を財布にしていたけれど、帰りに安い財布をひとつ買った。
数日後に、ワイン産地として知られるメンドサへ移動。飛行機の席が埋まらないとキャンセルするというので、よく知られる航空会社の飛行機は、2回キャンセルになって、お昼に着くはずが夕方の6時に着いた。急ぐときは隣国チリの航空会社の飛行機に乗ったほうがいい。でも「まあここはアルゼンチン。いらいらしても始まらない」と、のんびり構えてメンドサに到着。まだまだワイン発展途上国なのだけれど、質は急激に向上している。まずくて飲めないワインは、あまりなくなっている。それに値段がとっても安い。マルベックに焦点を絞って、いろいろ飲んでみた。(詳細はニュースレターに記載させていただきます。)
帰ってきたら、10日前には遠くからは見えなかったブドウの芽が、10cmほどに伸びていて、畑のブドウ樹のてっぺんは薄緑色に染まっている。2008年のブドウの生長の季節が訪れた。秋の国から春の国へ帰ってきた。不思議な気持ち。