2008年6月29日日曜日

アウシュヴィッツ



Krakowからアウシュヴィッツまで1時間以上かかった。アウシュヴィッツの近くにいくつかの町があった。すぐ近くにもあった。ガス室で殺された遺体を燃やす煙が上がるのを見たり,風の向きでその臭いがしたりしたとき、住民はどんな気持ちで暮らしていたのだろうかと思いながら、町を通過。
アウシュビッツ1に到着。大型のバスがたくさん駐車されている。たくさんの人が訪れていて、観光地という感じなので、ちょっと驚いた。博物館を通って外に出ると、石やレンガで造られた建物が並んでいる。博物館の入り口近くにポーランド人でユダヤ人を助けるのに貢献した人たちの写真が、まず並んでいる。こんな残虐な行為がこの国で行われたけれど、いい人もいたということを強調してるんだなと感じたけれど、そういう人たちもいたことを考えないと、国として絶えられないよね。ここにはロシアやポーランドの戦犯とユダヤ人が収容されていた。
ガス室が残っていた。少々しり込みしながら、窓一つない中へ入った。入り口に「この建物で何百万という人々が殺されました。その死に思いをはせ、冥福を祈って静かにお入りください」と書いてあった。シンドラーのリストという映画は、このガス室をモデルに再現されていた。アウシュビッツ1だけでも広大な敷地を占めているのに、なんと5つの収容所が、それぞれ離れた土地に建てられている。
車でビルケナウというアウシュビッツ2へ行った。ここまで来る人はアウシュビッツ1より少ないらしく、ひっそりとしていた。同じ形をした木造のバラックが、何軒も何軒も遠くまで延々と続いている。目もくらむほどの広大な土地。証拠隠しに焼いたバラックのあとに半分ほど崩れたレンガの煙突が、ずうっと遠くまで立っていて、その光景がさらに延々と続く。線路が敷地の終わりまでまっすぐに走っている。ここにユダヤ人を満載した列車がやってきて、すぐ殺戮する列、強制労働に使う列にわかられて、バラックに収容され、やがて2つあるガス室でシステム的に殺害された。ここだけで160万人。札幌の人口と同じ数?
線路に沿って走っている道路の終わりに、いろんな国の言葉で「この過ちを二度と繰り返しません」と書かれた石盤が設置されている記念碑があった。その両側にダイナマイトで証拠隠しに破砕したガス室の瓦礫がある。たくさんの訪問者がいるのに、この場所はしんとして静寂で、ポプラの木の葉が風に吹かれてこすれるさらさらという音が聞こえた。気が沈んだ。まっすぐに入り口まで続く道を、娘と二人、無言のまま戻る。
タンクトップを着てジーンズをはいた世界のいろんな国からやってきた若者たちを見て、ノーマルな気持ちに戻って、平和な時代に暮らしていることを感謝。もっともイラクの国民たちは、平和とは程遠い現状に置かれているけれど。
相棒が静かな声で「チェコへ戻ろう」と言った。娘と二人うなづいて、無言で車に乗り込む。
この旅の出発点、プラハに戻って、2日ほど過ごして、プラハからヒースロー空港、そしてサンフランシスコへ帰る。

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